(株) カフェグローブ・ドット・コム 社長インタビュー(キャリア編)
働く女性の人気サイト『Cafeglobe.com(カフェグローブ・ドット・コム)』を運営する 株式会社カフェグローブ・ドット・コム 矢野社長のインタビューです。
今回は、矢野社長のキャリアを中心に、カフェグローブ・ドット・コム社設立のエピソードをうかがいます。
株式会社 カフェグローブ・ドット・コム
1999年11月、「女性のための本当に役に立つメディア」を目指して当時編集者だった矢野氏、青木氏ら3人で株式会社カフェグローブ・ドット・コムを設立。同年12月、Webサイト『Cafeglobe.com(カフェグローブ・ドット・コム)』をスタート。ファッション・コスメ・旅行・恋愛・仕事・政治・経済など「知的好奇心の強い大人の女性」に向けた情報を提供し、女性向けWEBサイトの中でもトップクラスの人気を誇る。
代表取締役 矢野貴久子氏経歴
1962年東京生まれ。立教女学院短期大学卒業後、臨時職員として日経BP社へ入社。翌年に独立。14年間、フリー編集者・ライターとして活躍し、マガジンハウス『Hanako』『TARZAN』、小学館『Oggi』『Domani』などを担当。その後TBSブリタニカ(現 阪急コミュニケーションズ)を経て、1999年に株式会社 カフェグローブ・ドット・コムを設立、代表取締役に就任。
アシスタントのスペシャリストから入社1年でフリーランスとなって飛び出すまで
--有名な雑誌の編集を手がけ、現在は経営者として活躍されている矢野社長ですが、最初から編集をメインに働かれていたわけではないんですよね?
もともとは舞台演出がやりたくて試行錯誤していました。まずはアルバイト探しというところから、日経BP社の臨時職員の仕事を見つけて応募しました。
日経BP社では編集アシスタントがメインの仕事でしたが、会社は活気があって、記者もみなさんプロ。彼らを支えたいと思って頑張りました。そして、とにかく楽しんで働いていました。コピーをするにも、今みたいな便利な機能がなかったのでいかに効率的にホチキス止めができるか工夫したり、インスタントコーヒーもいろいろ試してどれが一番おいしいのか調べてみたり。
--その後入社1年後にはフリーランスとして独立されるのですが、それまでにどのようなことをされていたんですか?
配属先が『日経AI』という人工知能に関するニューズレターで、関連記事を簡単にまとめる仕事をしていました。スパコンや第三世代コンピュータという新しい言葉がとても新鮮で、最先端の情報に触れて、それをわかりやすく提供する編集という仕事にとてもひかれました。それで、入社後1年しかたっていませんがフリーで働くことを決めました。アピールしていた甲斐あって、いろいろな方に会わせていただいたりしていたので、その中の一社のマガジンハウスにまずは出入りさせていただくことになりました。
石にしがみつく3年のフリーランス駆け出し時代
--フリーランスとなられてからは、いかがでしたか?
石の上にも3年、というより石にしがみつく3年でしたね。
マガジンハウスはフリーランスを一から育てる風土があるんですが、私があまりにもできなかったせいで、最初の半年くらいは邪魔者扱い。すごく悔しかったんですが、この仕事に向いているのかどうか結論を出すには、もっとがんばってから自分で決めたいと思いました。
とにかく元気に出社して電話を取りまくることからはじめて、雑用から何までこなしているうちに、「じゃあ、コレやってみる?」と声をかけてもらえるようになって。それでも原稿は何度も直されたり撮影のやり直しを指示されたり…。でも、お金をいただきながら教えてもらえるなんて、こんな幸せなことはないと思って。多少キツイことを言われてもメゲなくなりました。
--そんな風に壁を乗り越えるコツって、何かありますか?
何よりもまず、始める前につらくても続けていく価値があるのかを見極めることです。自分のやりたいことだからこそがんばれるわけで、私もやりたい仕事でなければ、早々に辞めていたかもしれません。あとは、私の場合逃げない方が楽だったんですね。
いろいろ言われた原因を冷静に考えると、私ができないからなんです。邪魔者にされて単に辛いと思うのではなくて、まわりにいてほしいと思ってもらえる状況を自分から作らないといけないって思うと、気持ちが楽になるんです。何事も前向きにとらえるというか。思いこみの部分もありますけど、後ろばかり向いてつらい思いだけをするのはイヤでしたから。
編集から一転、医学部入学にチャレンジ!?
--編集で活躍されながらも、その後大きなキャリアの転換期があったんですよね。
つらかった仕事も3年間頑張ったら、本当に楽になってきて、編集が楽しくて楽しくて仕方がなかったんです。でも、27、8歳のころにふと、一生続けられる仕事って何だろうと思い始めました。編集の現場で40代50代で同じ仕事を続けている自分を想像できなかったのと、とはいえ、作家やジャーナリストという才能もないと思い、それなら定年のない仕事、資格のある仕事かなと思ってしまったんです。それで、短絡的に医者か弁護士を目指そうという考えにたどり着いてしまいました。
--社会人になってから仕事を中断して、医学部を受験するために勉強に専念するって、かなり勇気がいることですよね。
もしチャレンジしていなかったら、「やっぱり、あの時受験しておけばよかった…」とずっと考えてしまったでしょう。なので、たとえ失敗したとしても、ずるずる将来も後悔するよりはずっといいと思って勉強に専念しました。結局、1年勉強して私立には合格したのですが、国立に行くためにもう1年勉強しようと思い、資金作りのために少し仕事を…といううちに、仕事量がドンドン増えてどっぷり編集の仕事にもどってしまいました。そんな頃、カフェグローブをつくるきっかけとなる仕事をいただいたんです。
起業、カフェグローブ・ドット・コム社設立へ
--その後、どのような形で起業をしようと思ったのですか?
正直、はじめは「起業しよう」とは思っていませんでした。あるとき世界で働く日本人女性というテーマの仕事をいただいたのですが、その女性達をインタビューするたびに「日本の情報がもっと欲しい」という声を聞きました。また、海外では外国人として、政治・経済に関心を持たざるをえないのですが、日本では、女性同士が政治・経済を語ることはあまりない。そこで考えたのが、ファッション・ビューティー・グルメといった情報だけでなく、政治・経済も興味をもてる視点で同列に扱う働く女性向けの雑誌でした。
そのアイデアを元にいくつかの出版社に掛け合ったのですが、うまくいきませんでした。時期尚早だと、しばらく引き出しの中にしまっておいたのですが、シンガポールで以前取材をした知人から「インターネットなら実現できるんじゃない?」といわれ、「出来そう。絶対やるべき!」という強い思いが重なって、結果として起業することになったんです。そして立ち上げたのが、カフェグローブ・ドット・コムです。






